untitled machine work #003” (2016)

Detail of “untitled machine work #003” (2016)

untitled machine work #005” (2016)

Detail of “untitled machine work #005” (2016)

untitled machine work #006” (2016)

Detail of “untitled machine work #006” (2016)

untitled machine work #007” (2016)

Detail of “untitled machine work #007” (2016)

untitled machine work

2016-
Acrylic paint on kraft paper


This series of drawings is an instruction on how to build the Anzai’s kinetic sculpture. One of the main characters of his machine is its instability. To maintain the effectiveness of the concept, Anzai transforms his sculptural works into the method by defining instructional drawings as sculptures.

安西は機械を手法として捉えることで彫刻を脱物質化しようとしてきました。言い換えれば、ハードウェアではなくソフトウェアとして扱おうとしてきたのです。安西はこの一連のドローイングを「彫刻」として定義しています。

商品の流通速度は早く、3年後でさえ全く同じ日用品を入手するのは難しいでしょう。将来的に、それこそ100年後など、安西のキネティックスカルプチャーを再制作し展示しようとする際は、この指示書を元に作ることになります。その時、これらの指示書はどのように解釈されどのような日用品が使用されるのでしょうか。

出来事や行為でありつつも客体として存在するものを「行為と造形の間にあるもの」と呼んでいます。多くのワークショップを通し、出来事としての機械から、手法としての機械に興味を持ちました。作り方を記した指示書をもとに、作家以外に機械を再制作してもらったりもしました。このように最終的な造形(機械)を目的にしつつも、そのプロセスや手法が重要視され、行為として鑑賞者が追体験できるようなものを作っています。
前述した「行為と造形の間にあるもの」とは、造形することを主目的としながらも手法などが重要視されるものです。たとえば生け花のように、オブジェを作ることを目的としつつも、それ自体は持続的ではなく、実際はその手法、流派が影響力をもつような在り方です。また、折り紙も最終的に造形物を完成させることを主目的としますが、オブジェ自体が売買されることは稀です。多くの場合はその「作り方」、すなわちインストラクションのほうが価値を持ち書籍などで売買されます。美術との対比で考えると奇妙ですが、実際のこれらの社会への根ざし方には無理がありません。